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今回は、当社が平成29年7月から9月までに行った主な取り組みを、簡単にご紹介いたします。
【安全衛生の取り組み】
■防災訓練を行いました。
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当社では、平成24年7月に発生した九州北部豪雨による水害の被災日に当たる7月14日を「ヤスナガ防災の日」と定め、毎年その日の前後に防災訓練を行っています。
5回目となる今年は、7月15日に防災訓練を行いました。
2時間の短時間訓練でしたが、避難訓練、防災用品のチェック、安否連絡網の確認、消火設備の点検など、多種多様な訓練を目標時間内に終了することができました。
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【目標管理制度の取組み】
■業務改善表彰を行いました。
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9月1日、第7回目となる「業務改善表彰」を行いました。業務改善提案とは、目標管理制度の一環として、現在当社が取り組んでいる「ここを改善したい」という前向きな提案を行い、改善していく取り組みです。
今回表彰を受けた提案者及び提案内容は、以下の通りです。
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【改善賞】 砥上 勝利さん 製品のナンバリングによる作業時間短縮
【 〃 賞】 原田 義光さん 溶接アームの自製設置による作業スペースの有効活用
【 〃 賞】 福山 貴誠さん 休憩所の整理整頓によるミーティングスペースの確保
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【地域貢献の取り組み】
■中学生の職場体験を受け入れました。
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9月12日から14日までの3日間、中学生の職場体験を受け入れました。
今回は、柳川市立三橋中学校2年生1名が梱包作業、拭き上げ作業を担当してくれました。
この職場体験は、「未来の柳川を担う人材育成構想」の主要な事業の一つとして、毎年行われているもので、当社は毎回受け入れを行っています。
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■バレーボールで、全日本マスターズ大会に出場しました。
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県予選大会の優勝を受けて、9月15日から19日にかけて兵庫県で開催された、社会人クラブバレーボール・全日本マスターズ大会に、福山 貴誠君(営業課)が、『ALWAY's(福岡市・飯塚市・久留米市)』のメンバーとして出場しました。
大会は、日頃の練習の成果もあり、ベスト8進出という好成績でした。
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(2017/10)
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今回は、当社が平成28年10月から12月までに行った主な取り組みを、簡単にご紹介いたします。
【安全衛生について】
■ストレスチェックを実施しました。
11月1日、今年度から50名以上の労働者がいる事業所で実施が義務づけられたストレスチェック
を行いました。久々に取り組むマークシート問題に、懐かしさと戸惑いを感じている社員も見受けら
れました。
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■インフルエンザワクチンの予防接種を行いました。
11月7日、8日に、今回で3回目となるインフルエンザ
ワクチンの集団予防接種を行いました。当社の産業医の病
院での予防接種では、希望者30人が2班に分かれて接種
しました。
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■バキュームリフトの操作講習を行いました。
11月30日、バキュームリフトの年次点検に合わせて、操作
方法の再講習を行いました。当日は、安全操作の再確認の
ため、社外より講師をお迎えして、各工程の代表10名が、
約30分間の講習を受講しました。
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【福利厚生について】
■今年は誕生プレゼントを頂きました。
昨年は、誕生月昼食会で「うなぎのせいろ蒸し」を頂いていましたが、2年目となる今年は「ステー
キ肉」、「ケーキ」、「ギフトカタログ」の中から、自分の欲しい物を選び、社員全員が誕生日当日
に、直接社長から誕生日プレゼントとして頂きました。3品目の中では「ステーキ肉」が一番人気で
した。
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■マラソン大会に参加しました。
10月6日に行われた筑後船小屋リレーマラソ
ンに、社員10名が参加し、42.195qを
完走することができました。10人のリレーで
競うゴールタイムは、3時間31分9秒で、総
合順位では127チーム中71位という成績で
した。
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■社員研修旅行を行いました。
11月19日、20日、社員研修旅行で、鹿児島県霧島市を訪問
しました。今回は1泊2日という短い研修旅行でしたが、霧島神宮、
天降川温泉等を訪問し、心身ともにリフレッシュすることができま
した。
■忘年会を行いました。
12月22日、みやま市に新しくオープンしたレストラン「さくら
テラス」で、忘年会を行いました。レストランスタイルでの忘年会
ということもあり、いつもとは違う雰囲気の中で、楽しい時間を過
ごすことができました。
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【地域貢献について】
■「新開能」に出演しました。
10月17日、県指定無形民俗文化財の伝統芸能「新開能(しんがいのう)」に、今年も社員の高尾健
くんが、氏子として舞台に上がりました。 今回の演目は「禰宜山伏(ねぎやまぶし)」。高尾君は、山
伏役で日頃の練習の成果を十分に発揮しました。
■小学生が工場見学にやってきました。
12月16日、隣接する中山小学校5年生5名が、総合学習の一環として工場見学にやってきまし
た。
施設や機械の見学、ものづくりについての熱心な質問で、予定時間の1時間はあっという間に過ぎ
てしまいました。
■久留米工業大学フォーミュラプロジェクトに協賛しています。
当社がレーザー加工による部品を提供しています久留米工業大学フォーミュラプロジェクトより、
今年1年間の活動報告書が送られてきました。当社は、このプロジェクトを通じて、少しでも学生の
みなさんがものづくりの楽しさ、そして難しさを体験できるお手伝いをできればと思い、応援を続け
ています。
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■柳川市のイルミネーション「ドリーム・カム・ツリー」が開催されています。
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当社に近隣する「立花いこいの森公園」で、今年も1月14日
までの間、イルミネーションが点灯しています。今年は規模を
拡大し、約10万球のLEDを使い、大人から子どもまで楽しめ
る幻想的なイルミネーションが実施されています。当社は従業
員用の駐車場を夜間無料駐車場として提供しています。
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【その他】
■「経営力向上計画」の認定を受けました。
11月1日、九州経済産業局より「経営力向上計画」の認定を受けました。
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■業務改善表彰を行いました。
11月1日、第5回目となる「業務改善表彰」を
行いました。業務改善提案とは、現在当社が
取り組んでいる、社員全員がそれぞれ提案者
となり、ここを改善したいという前向きな提案
を行うことで、社員みんなで問題の一つ一つ
を解決していくという取り組みです。
今回表彰を受けた提案者及び提案内容は、
以下の通りです。
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【社長賞】 | 原田 義光さん | ハンドリフト改良による作業の効率化 |
【部長賞】 | 倉吉 美有紀さん | 社名の単語登録による検索の短時間化 |
【 〃 賞】 | 鳥田 瑛里菜さん | 社名のアルファベット保存管理によるプログラム作成時間の短縮 |
【 〃 賞】 | 只隈 知子さん | 自製ゴミ箱設置による可燃ゴミ散乱の防止 |
【 〃 賞】 | 江口 功大さん | アイアンワーカーのガイドローラー材質変更による作業時間の短縮 |
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(2017/01)
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これまでにもお知らせしてきましたように、当社では、業務改善提案の取組みを行っています。
今回は、昨年平成27年11月に提案された中から、2つの改善事例をご紹介したいと思います。
【改善事例1】 提案:社用車にドライブレコーダーを装着してみては?
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以下は、提案者からのコメントです。
ドライブレコーダーとは、交通事故の瞬間を映像などで記録する車載型の装置のことです。車輌のフロントガラスにつけた小型カメラで前方を撮影し続け、急ブレーキや衝突などの異常動作を感知すると、その前後40秒程度の映像とともに速度やブレーキの状態などを記録できます。交通事故が発生したとき、事故原因をめぐって当事者同士の証言に食い違いがあると、証言だけでは真実を解明できないことが多いため、記録された映像から事故当時の様子を推定することができるとされています。
もしもの事故の時に映像が残り、安全運転の啓発にもつながると考え、この提案を行いました。 |
 提案者の製造3課 石橋さん |
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提案を受け、今回は効果検証のため、まず先行して配送用トラック2台に装着することにしました。
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装着後の1月21日(木)、配送担当者を中心に、販売メーカーによる取扱い説明会を行いました。
メーカーの話によると、ドライブレコーダーの装着は、以前はタクシーが多かったとのことですが、最近は一般の乗用車にも普及し始めているとのことでした。
また装着することで、ドライバーの意識が変わり、未然の事故防止に役立っているとのことです。
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装着から1ヶ月後、経過確認のため、配送担当者に聞いてみたところ、常に見られているという意識があり、より安全運転を心掛けるようになったとのこと。
今後も車輛事故ゼロだけではなく、会社の目標である労災ゼロ1000日を目指し、安全安心、そしてゆとりをもった仕事を心掛けていきたいと思います。
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【改善事例2】 提案:当社の製品が、他社でどのような完成品になっているのか見てみたい。
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以下は、提案者2名からのコメントです。
私は、図面のプログラムを担当していますが、会社でつくった製品が、最終的にどのような完成品になっているのか、わかりませんでした。
特に会社でつくっている製品は、部品であり、図面を見ただけでは完成品の形を想像するのも難しい状態でした。お取引先に見学に行って実際に完成品を見ることで、製品に対する意識が変わり、知識も増え、スキルアップにもつながるのではないかと思い、この提案を行いました。
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 提案者の製造1課 田崎さん |
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 提案者の品質保証課 諸藤さん |
ほとんどの社員が、平田機工蒲l関連の製品に携わっているが、実際に当社の製品がどのように取り扱われいるのか、工場見学をした社員は少ない。清潔な工場を見学させてもらい、自分たちが携わった製品がどうなっていくのか見ることで、社員の製品に対する意識が変わるのではないかと思い、この提案を行いました。
この提案を受け、お取引先計5社を工場見学させて頂きました。
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工場見学は、1月中旬から2月中旬の1ヶ月に分けて計9回行い、実際にそのお取引先の製品に携わっている社員を中心に、延べ38名の社員が訪問させて頂きました。
以下は、工場見学を行った社員の感想です。
○今まで、図面と部品だけではイメージできなかったところも、実際に見学することでどのように 使われているかがわかった。今後、図面に対して完成品をイメージしやすくなった。
○クリーンルームでの作業を見学させてもらい、いかに精巧な製品が要求されているかが改めて わかった。
○今までは、電話でしか話したことがなかった荷受け担当の社員の方と初めてお会いすることが できた。大変親切に応対して頂き、改めて電話対応等、相手の顔が見えない時の対応の大切さ を感じた。
○どの工場に行っても、お会いする方みな、きちんとあいさつして頂き、気持ちよかった。
○作業場には、必要以上に物がなく、工場全体が整理整頓されていた。
○作っている製品が、自分の身近な物だったことにびっくりした。
○見学させてもらったことで、製品に対する精度の厳しさを再認識することができた。
提案者のいうように、今回の工場見学で、社員の製品に対する意識が変わってきたのではないかと思います。
最後となりましたが、お忙しいなか、快く工場見学をご承諾いただいた、内田鉄工蒲l、有明機電工業蒲l、轄r木鉄工所様、鰹ャ川製作所様、平田機工蒲l(見学順)には、この場をお借り致しまして、改めてお礼申し上げます。
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(2016/04)
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2011年3月11日に発生した東日本大震災は、まだ皆さんの記憶に新しい出来事だと思います。
弊社は10月4日〜10月6日の3日間、社内研修旅行として現在の東北の被災地を巡りました。
テレビなどの情報で得た知識しかない私たちにとっては、仙台空港に降り立ったその時から目の前に広がった衝撃的な風景に、言葉を失いました。
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■ 仙台空港
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 見上げるほどの高さにある、当時押し寄せた津波跡
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今回利用した仙台空港は被災当時、約3メートルもの高さの津波で滑走路が冠水し、ターミナルビルも被害を受けた為、離着陸が出来ない状況でした。
津波により1階は完全に水没し、建物内に避難していた約1200人が孤立していましたが、13日にはほぼ全員が救出されました。
空港設備や作業車両なども大きな被害を受けましたが、駐機していた旅客航空機だけでなく海上保安庁仙台基地所属の航空機までもがほぼ全滅となるなど、甚大な被害を受けました。
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■ 陸前高田市内
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 網のように広がるベルトコンベア
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 津波浸水地域内の盛り土は見上げるほどの高さ。 場所によっては14メートルの嵩上げがなされる
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 近隣には荒れ果てた学び舎の姿もあった
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 メディアでも取り上げられた『奇跡の一本松』。 現在は近隣工事のため立ち入りが規制されている
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津波によってさらわれた市街地も様変わりし、今でこそ盛り土による嵩上げを望む風景となりましたが、当時は多くのがれきが一面を覆い、インフラも切断されたため、支援や復興もなかなか進まず荒野のような状態が長く続いたそうです。
復興が進み始めると、今度は津波のリスクを軽減するための盛り土の計画が進むのですが、陸路では搬入トラックによる大渋滞が発生するため、上空を這うベルトコンベアによってそれぞれの計画地へ土砂の搬入が行われていました。
丘のようにそびえ立つ高い盛り土を見上げると、当時の津波が人知を超えるものであったことを改めて実感しました。
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■ 南三陸町
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 防災対策庁舎の周囲は 今も津波の爪痕が残ったまま
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 15メートルの津波は 鉄骨を曲げるほどの大きな衝撃
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 献花台が設けられた 防災対策庁舎跡
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メディアで何度も放映された南三陸町の防災対策庁舎跡では、その場に立ち尽くすことしかできませんでした。
マグニチュード9.0という日本観測史上最大の地震によって発生した津波は目前に迫るにつれその姿を大きく変え、発生当時は6メートルと予測された津波も、最大15メートルの巨大な壁となって襲い掛かりました。
それでも最後まで避難放送を続けた女性職員が犠牲になったことや、職員約30人が屋上に避難したにも関わらず、屋上の床上約2メートルの高さまで津波が押し寄せ、アンテナにしがみつくなどして引き波に耐えた11名のみが一命を取り留めたことなど・・・。
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牙をむいた自然の脅威とその衝撃の大きさに、その場で手を合わせることしかできないことに言葉に表せない悲しみを感じました。
この防災対策庁舎は、一度は復興のための取り壊しが協議されましたが、遺族の皆様が手を合わせる場所を失うことになるため、震災遺構となされるかどうかは現在協議中ということでした。
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■ 気仙沼市内
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 周辺に残っている建物も大きな被害を受けた
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 当時の衝撃の大きさを物語る看板の損傷
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がれきが撤去された気仙沼では復興屋台村が建てられ、台風が近づいているにもかかわらず賑わいを見せていました。
同じく遠方から訪れた方々がお店の中で、『私たちはこれぐらいのことしかできないから・・』と言ってお買い物をされていたことが強く印象に残っています。
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■ 気仙沼フェニックスバッティングセンター
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 気仙沼フェニックスバッティングセンター代表の 千葉様
 背景のロゴマークは、ap bankより寄贈されたもの (ap bankは、3名のアーティストにより設立された 支援団体)
 施設付近には今もなお仮設住宅が立ち並ぶ
 気仙沼復興祈願飲料 潮騒ダーと潮パイダー
 社員全員で体験してきました
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同じく気仙沼では、復興の象徴と言われる気仙沼フェニックスバッティングセンターを訪問し、この施設を設立された千葉清英社長様に、震災の体験談やこれまでの復興に至る経緯をお話しいただきました。
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気仙沼市に住む千葉さんと息子の瑛太くんは、東京から奥様の実家に越して家業の牛乳販売店を継いで9年、瑛太君を筆頭に3人の子供達と義理のご両親と共に、平穏な毎日に幸せを感じながら家族みんな仲良く暮らしておられました。
しかし、2011年3月11日14時46分・・・この日、この時を境に全てが変わってしまいました。
津波は父子2人を残し、家族ら7人を連れ去りました。
瑛太くんはその日、小学校にいたため難を逃れましたが、家族を先に避難させ、最後に逃げた千葉さんも、津波に飲み込まれました。
しかし、河口近くの橋の欄干に必死で捕まり、海に飲み込まれる恐怖と寒さに耐え、九死に一生を得ました。
「家族のためにも諦めない!」との強い意志が死の淵から這い上がらせたとのことでした。
肋骨を数本折るという重傷を負いながらも一命を取り留めたのち、警察からの連絡で駆け付けた体育館には、先に避難させたはずの家族ら7人が棺に入れられ並んでいました。
覚悟はしていたものの、それでもわずかな望みを抱いていた千葉さんは、それが完全に打ち砕かれた事で呆然とその場に崩れ落ち、正気を保つ為に自分の頬を何度もはたきながら、当時家族が携帯していた所持品をビニール袋に入れ、担ぐようにして戻ったそうです。
この世の事とは思えないような出来事は、当時の三陸地方では特別の事ではありませんでした。
多くの人が親を、伴侶を、子供を、恋人を、友人を・・・・突然に、一瞬にして大切な人々や思い出を失いました。
平穏無事に日々を過ごしている人々には想像もできないような悲しい出来事が起こりました。
気仙沼をはじめ三陸沿岸の町は海と共に歩んできました。海は多くの恵みを与えてくれました。
しかし母なる海はその優しい表情を一瞬に変え、想像を絶した姿で人に牙を向けました。
それでも被害を受けた人々は、心を引き裂かれ打ちのめされ、心に身体に大きな傷を負い、生きて行く気力を奪い取られ、耐え難い不安や襲い来る恐怖、未だ諦めきれない深い悲しみを抱えつつも、それらに立ち向いながら前を向いて歩き始めました。
千葉さんは、家族らの行方が分からなくなってから、瑛太君が一時でも明るくなってくれるなら、との想いから二人が共通して好きな野球の練習のため、岩手県にあるバッティングセンターに1時間半もかけて瑛太君を連れて行っていました。
以前は少年野球にも所属していた瑛太君は、バッティングセンターではいきいきとしていました。
とある日の帰り道、「遠いね。パパ、気仙沼にバッティングセンター建ててよ!」
車中には目を輝かせて話す瑛太君がいました。
元高校球児で野球に深い思い入れのある千葉さんは「よし!やるか!」と即座に答えてしまいました。
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その後、しばらくは会社の立て直しなどに奔走され、瑛太君と交わした会話も一時は忘れるほど忙しい毎日を過ごしていましたが、ある日の車の中で「パパ。いつ建ててくれるの?」との言葉に、当時は冗談と思っていたものの、瑛太君にとっては大切な約束であり、この約束をもしも破ってしまったら、そのショックは計り知れないのではないか?と感じたそうです。
時が経つごとに、母や妹達、多くの愛する家族を一度に失っても前を向いて歩くしかない瑛太君の為に、被災という状況下で交わした我が子との約束を果たすために『この願いを叶えやりたい』、と本気で「バッティングセンター」建設を考えるようになりました。
多くの物を失った気仙沼では、学校の校庭には仮設住宅が埋め尽くし、震災前には遅くまで遊びに興じた原っぱも立ち入り禁止となりました。
廃校になった学校もあります。そんな中で、子供達は文句一ついう事なく健気に生きています。
そんな状況の下、千葉さんは、「もう何もいらない。息子の想いや子供たちの為に『希望のバッティングセンター』をこの気仙沼に建ててあげたい・・・。」その気持ちは日増しに高まり、その日から建設に向けての歩みがスタートしました。
本業の牛乳販売店にようやく復興が見え始めた中でのバッティングセンター建設ということもあり、当時はなかなか賛同も得られず、周りから離れていく人たちもいました。
それでも瑛太君をはじめとする野球少年たちの為だけではなく、気仙沼の未来ある子供たちのため、野球をするしないに関係なく多くの人に利用してもらえるような、震災復興のシンボルとなるようなバッティングセンターを建設するべく、まだ癒えていない体を引きずって昼夜を問わず走り回りました。
資金源を作るために本業である乳製品飲料を開発し、それを販売して資金を作るという長い道のりの中でそれを聞きつけた方々がプロジェクトに賛同し、協力者も次第に増えていきました。
被災した状況という中で、会社と約束の両立は言い表せないほど大変な事でしたが、つらいときにも「この約束は必ず守る」という強い意志で、ついに2014年3月30日に開業を迎えました。
開業してからこれまでには、千葉さんの思いに賛同されたメジャーリーガーやプロ野球選手が野球教室を開講したり、アーティストによるライブが行われたりと支援の輪も広がり始め、現在は地域交流の場として気仙沼の復興のシンボルとして多くの方々が来場しています。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
お話しいただいた中で、この3年で街並みが変わり始めても、いまだ復興が進んでいない被災地も多く大勢の人々が依然厳しい生活が続いている現状を知りました。
また、千葉さんが最後に言った、『皆さんにしていただきたいことは、この出来事を忘れないでほしい。
風化させないでほしい』という言葉を語られたときは、胸が締め付けられる思いでした。
この三日間で感じたことは東北の皆様の悲しみとは比べ物にならないと思います。
今もなお多くの仮設住宅が立ち並び、生活の不便を強いられている方も大勢おられます。
隣の家の声が聞こえたり、寒い日も火災のリスクが高いことからエアコンしか使用できなかったり、大家族では家が狭くプライバシーも何もない為ストレスを抱えたり・・・
震災から3年経った現在でも、未だ解決できていない問題がたくさんあります。
私たちに出来ることは、これが過去の出来事として終ってしまうようなことが無いよう、今後も被災地を見つめ続けていく事だと思います。
災害による爪痕、親しい人たちを奪われてしまった悲しみを背負いながら、それでも一歩ずつ前へ進む東北の皆様方とともに、私たちは歩み続けなければいけません。
私たちには東北の皆様方の本当の悲しみは分からないかもしれません。
それでも東北の復興のために、共に歩み続けることは出来るはずです。
この出来事を忘れないように。
この出来事を風化させないように。
私たちは、この出来事を忘れません。
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(2014/11) |
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この度中国工場【常州永正机械有限公司】のコラムを任されました佐古です。今年7月にヤスナガに入社した新入社員です!とは言え、なんだかんだで中国滞在ももう10年目。とりあえず簡単に自己紹介から。
1982年に福岡市で生まれて今年で32歳。小中高と福岡で過ごして、岡山の大学に進学。2005年から上海に住み始め、2008年に常州永正机械ができて常州に引っ越し、それからずっと常州在住です。同じく2008年には上海人と国際結婚。家内は上海に住んでて私は常州へ単身赴任中。その後紆余曲折あってヤスナガに入社しました。
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 上海の家庭料理。旧暦の大晦日に一家揃って食べる年夜飯と呼ばれるもの。味は…手前のプレモルは持参。
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 四川料理の代表、辣子鶏。見た目のインパクトはすごいけど、そんなに辛くない。
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最初の今回は中国での食事の話。世界3大料理の一つと言われる中華料理。中華料理と言えばよく四川料理に代表される唐辛子辛い料理を想像されますが、広い中国、地域によって味付けも素材も全く違います。住んでいる常州や上海などは江蘇料理と呼ばれ、肥沃な土地の農産物に、長江や東シナ海で獲れる魚介類などを使った味の濃い甘い味付けが特徴です。
9年も中国に住んでいるので食事にもとっくに慣れ、安くて美味しいので食べ過ぎてぶくぶく太っていった私でも、その甘い味付けがどうも曲者で外食する際は地元料理は選ばずに四川料理や湖南料理など辛い料理を食べることがほとんど。辛さで味覚が麻痺して美味く感じてるだけのような気もします。
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 上海の庶民的な小籠包屋。6個で150円位。注文を受けてから包んで蒸してくれます。
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上海料理で有名なものに「小籠包」があります。上海の小籠包は薄い皮にアツアツのスープが入った日本人に嫌いな人はいないとも言われる料理。駐在員が日本人をアテンドする際は「とりあえず小籠包」。老若男女、誰を連れて行っても間違いがない鉄板です。一時期、高級小籠包として有名な鼎泰豐に行きすぎて飽きた、というなんとも贅沢な経験もしました。常州近郊の無錫も小籠包で有名。江蘇料理の例に漏れずベタベタに甘いスープで、こちらは日本人には大不評。上海の小籠包は甘くないのはなんで?
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素材に目を向けると、「四足なら机と椅子以外、空を飛ぶものなら飛行機以外」食べる中国では日本では馴染みのない素材もたくさんあります。スーパーの肉売り場では鳩やウサギ、魚介類売り場では生きた亀やスッポン、カエルなんかが売られています。アグネス・チャンが公園の鳩を見ておいしそうだと言ったという噂もありますがあながち嘘じゃないのかも。まあハト食べるくらいなら鶏食べたほうが美味しさ的に幸せだと思いますが。でも、食料とペットの線引ってどうなってんでしょう?ペットショップにも、亀とかうさぎ売ってるんですけど。
というわけでまた次回。
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 カエルの料理。店によっては皮がついたままのところもあるが、これはない分心理的に食べやすい。味は柔らかめの鶏肉。
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(2014/10) |